彼氏と別れました。

 

表題の通りで、嘘偽りなく彼氏とお別れしましたことをお伝えいたします。

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よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!

やっと関係性が?な人とお別れできた、冗談抜きでノーストレスライフウェルカムだ。なんかさ、私と元彼はさかなり最寄りで恋愛してたの。でも週一も会わなかったのよね。全然それで私は平気だったんだけど、たまに頭の中に「この人とこれから先一緒にいて私は何か得るものが果たしてあるのか?」という問いが浮かんでは消えてを繰り返してた。最初はスルーできたけど、最近はもうダメだったね。我慢できなくなっちゃったってわけ。

別れ方としては私が元彼の態度にブチギレしてLINEを唐突にブロックしてはい終了と、なんとも0点なやり方になっちゃったけど、もうそれくらい嫌だった。まず、返信が遅いの。私の送ったメッセージを返してくるのって大体2日後だったりしてたし。ずっと「そんなにLINE返すのって大変なことなん?!」って思ってた。ヒステリーに怒鳴り散らさんかっただけ感謝して欲しい。それに「毎日LINEしよ〜」とか、執拗に電話することを迫ったこともない私に対してする仕打ちがそれかい!ってもう悲しいというか憎しみが増すわ増すわ。基本人に恵まれたからこんな適当な扱い受けたのが初めてすぎて、正しい対処の方法がわからなかったわ。

まぁきっと本当に好きだったらとことん話しあったり、「自分にも至らないところが絶対あるんだからきっとおあいこだわ!」って悲劇のヒロインと真反対をいってみたりとか、片手では足りないくらいの解決法はあったんだと思う。でも私はそれをしなかった。彼と同じ土俵に立って相撲をとることを拒否したんだ。悲しいけど、その程度の思いと執着だったんだと思う。

はぁー。

上手に恋愛がしたい。

でも自分のテンポとペースはできたら崩したくない。

どうしたら自分と恋愛を両立できるのかしら?私が恋を終わらすのは決まってこのバランスが上手くいかなくなった時。

やりたいことがある。

行きたい場所がある。

会いたい人がいる。

でも恋人との時間を作りたいと思っているのもどうしようもない事実で。恋人と自然に幸せそうにしている人を見ると「なんでそんな難しいことを簡単にやってのけられるの?!私とあなたは何が違うの?」って焦るのよね。

わかってる、贅沢な悩みだ。

それに私はまだ精神がお嬢さんなんだと思う。相手が自分に合わせてくれて当然、的なね。なかなか男性相手に泥臭いやり取りをするのができない。恋人関係なく、人間関係がそもそもめんどくさいものだから楽をしようと手を抜いたらダメなんだな。年々歳をとって、身体が少しずつ衰えていく。恋愛にカロリーを消費させることができるうちに楽しまないと。

ま、でも最終的誰かと結婚したいとは思ってるので今後もなんやかんや頑張っていくしかないんだろうなぁ。

ひぃ。

新海誠監督の描く世界に似ていなくもない写真。

 

お久しぶりです。

ブログ更新がまたまた開いてしまった。こうして更新さえしなくなる、それがブログなのだ。

非常事態宣言が一応終了した世界で、みんな何してるの?

ん?私?

私はねー…。

 

写真撮っているよ。

なんていったってミラーレス一眼カメラ持ってるからね。しかしインスタとか覗き見すると、プロと言われる人だけじゃなく素人さんもすんばらしい写真を撮りまくっていて驚く。すごくない?本当なんなのあれ?これが世のスタンダードなの?って危うく自分の価値観燃やしそつになる。

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この間の休日に撮った写真。花手水っていう素敵な代物があるということを初めて知ったので張り切って撮ってみた。

知っている人からしたら当たり前なのだが対象物の動きを止めれるシャッターモードもあって、本当に一筋縄ではいかないよ、写真は。

人と比べてはいけないって幼稚園の先生に教わったけど、取り敢えずインスタをまた覗き見しお手本を探してみたんだが撃沈。あれは何て言うんだ?ピイントか?ピイントを当てるところからセンスがなんか違ってて、絶妙にぼかしもあって見ていて飽きないの。見様見真似でやってみるけど、全然できない。同じ機種のカメラ使っているはずなのに。なんか迷路に迷わされている気分。まだそんなにどっぷり浸かるつもりのなかったカメラ沼に片足突っ込みそうな予感。

兎に角、死に物狂いで何枚も撮りまくって撮れたこの一枚。水と光とのキラキラ感が新海さん作品味を感じなくもないなぁと平和な勘違いをしてみたり。私の非常事態宣言明けの過ごし方は斯くもラブアンドピースキめている。

深夜のガールズトーク。

 

緊急事態宣言明け!

ようこそ、蔓延防止対策!

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待ちに待った?この瞬間。皆さんは如何がお過ごしでしょうか。私は相も変わらず時に元気に、たまに疲れて生きております。そしてRADWIMPSの野田さんが歌うテルーの唄聴きながらこの記事を書いている。いえい。野田さんよお、いい声してんな。あんたが主演の『トイレのピエタ』観たぜ。私の推し、市川紗椰さんが出演していて驚愕&感激したということだけお伝えしておく。

しかしなんだ。

非常事態宣言は終わったが、なかなか外を出歩けないかもしれない。だから親友と深夜にたらふくしこたま、女子トークをぶっ放したというわけ。もちろん、お酒を片手にね。

女子が夜な夜な話すことといえば専ら恋愛トークって決まってる!(たぶん)つーわけで、私も久方ぶりの恋愛トークをぶっ放したり、ぶっ放されたりした。しかし話相手である友人は彼氏がいない。彼氏がいないことへの驚愕と悲しみで先日腰を抜かしたらしい。人生生きてきて、確実に彼氏がいなかった時期の方が長いはずなのに…。と正論を心の淵にち思ったことは純粋に許してほしい。ま、私も彼氏不在時期が圧倒的長期人間なので人のことは言えんのだが。

コロナ禍ということで婚活や恋活という出会いの場に出向くということがどうも難しい。だからマッチングアプリというものの需要が高まっているんじゃないかと思う。その友人もアプリで何人かと会ったみたいだが上手くいかなかったらしい。

私は彼氏という存在の方はいらっしゃるが、別により人生が輝いているかと言われれば、否だ。彼氏がいたらやはり楽しいが、また別の悩みがあったりする。しかも私は残念?ながらインスタでちゅっちゅしまくっているカップルとは一線を画しているわけだし。そういうザ・幸せみたいなカップルじゃないといけないのか問題に今私はぶち当たっているし。

どっちが不幸?そんなこと比較したくもないけど、結論からいうとガールズトークなんてものは恋愛の悩みを曝け出すことだからね。一つ言えるのは私も友人も、大きな変化を迎え撃つ体力が今ないという可能性がありっぽい。メンタリストDAIGOが言ってたけど、人間の脳は大きな変化を嫌うらしい。脳はかなりの怠け者らしいから変化を嫌うというのは最もだ。みんな楽したい。しかし楽して好きな人や彼氏、彼女はできないだろう。

はぁ、私も変化しなければならぬのだな。至極嫌ではあるのだけれど。

「寂しい」と思ったときに観る映画。

 

暑く蒸し蒸しした日々がなんともやんごとなく続いていますが、お元気ですか。私は絶賛この暑さと湿り気を帯びた空気感に叩かれ、まいっています。誰か助けて。

まぁそういうわけで、狂いそう一歩手前くらいで毎日生きているわけなのだが、やはり自分が意図的に摂取しているものに救われることが多い。食べた物で人間は出来上がっているとか云々のことなのだが、観たもの読んだもの、触れる人に一気に癒されるのだなと痛感中。

最近私が摂取したものでよかったものをご紹介する。

ちょっと前の記事で本が原作の映画をかなり酷評したのだが、今度はその逆で映画を先に観てその後原作を読んだパターンなのだが、過去に戻って映画化作品をこき下ろした自分を殴りたくなるくらいによかった。

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「デッド・エンドの思い出」という吉本ばななさん原作の映画がある。こちらが繰り返し観たくなるだろうな、というかもうすでに繰り返し観ている。それくらいなぜか日常に馴染み、定期的に触れたくなる世界観なのだ。

話は韓国人の主人公ユミ(韓国人)が日本で就職した遠距離恋愛中の彼(韓国人)に会いに日本に来ることから話は始まる。ちなみに原作は遠距離恋愛をしているが普通にどちらも日本人設定だ。遥々会いに行ったにもかかわらず彼には新しい日本の彼女ができていて、なんと結婚をする予定だと。何も知らなかったユミは驚愕アンド絶望のエレクトリカルパレード。こんな状態では国に帰るにも帰れず…。そんな傷心・ユミが出会ったのがエンド・ポイントというゲストハウス。ここで雇われ店長をしている西山くんをはじめ、個性的なお客さんとの出会いを通じて少しずつ自分の人生や思考の整理を始めるユミ。

印象的なシーンは多々あるのだが、ユミがぼーっと外を眺めるシーンがなんとも言えない。すごく静かで孤独を噛み締めているところが切なくて美しい。そしてやはり人生のところどころで人間はぼーっとする時間を持たないといけないのだ。シャープにビジネスライクに生きるのもカッコいいかもしれないが、そもそも人間なんて全裸で産まれてきているのだから、そこそこの恥を担うキャパはあるだろう。だから恐れず時々口を半開きにしちゃって、ぼーっと景色を眺めようよ。なんかさ、孤独は寂しいものかもしれないけれど、決して悪いものじゃないんだなと年々思うようになった。歳かしらね。そういう種類の人生の味わい方を教えてるくれる、そんな作品だ。

なんだか寂しいなと思うときに観てほしい。特に理由はなし。

6勤を耐え抜くためにカンフル剤を。〜自給自足な週のルーティン〜

 

私今週6勤なんです。隔週で土曜出勤があるこの私。すごくすごく嫌。特に今週はなぜかめちゃくちゃ嫌。説明できないけれど、いつもよりも格段に嫌すぎてもしかしたらもしかするかもしれなレベル。だから、とりあえず、行くしかなかったわけだ。

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だってさ。もう自分の好きな空間で酒をしこたま飲むことが物凄いストレス発散になるわけで。最高にすっきりするし、デトックス作用も著しい。(当社比)しかもね、普段見慣れない風景の中を高速で走るということはこの上ない快楽なわけだ。自分を取り巻く世界から、手っ取り早くどこかへぶっとばしてくれるからやめられない。私は私と二十数年付き合ってきてなかなか価値観や思考回路を変えられないことを痛感している。凝り固まったこの頭を強制的に切り替えさせるため、普段行かない場所にいく。自分の日常生活の匂いがしないところへの逃走を謀るのだ。

それに必要なのが酒、知らない車窓、睡眠の三連単。お金も脳みそも溶けてドロドロになっちゃったけれど、良い感じに酔いながら窓から外を眺めつつ、惰眠をむさぼることもできたし。

とりあえず明日も生きていけそうだ。 

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夜も朝も短し、輝け乙女。

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女の子って可愛い。

先日電車に乗っている時若い子がいたんだが、その子たちの二の腕がすっごく綺麗だった。具体的にどう綺麗かというと、白くて柔らかそうで。一番重要なのが見事に毛がなくてつるんとぷるんとしていることだ。きっと脱毛に余念がないのだろう。顔を綺麗にしていることはもちろん、露出の増える夏になり彼女たちはきっちりお手入れしているであろう自らの輝く腕を惜しげもなくひけらかしていた。

同性ということを盾に、バリバリの親父目線で舐め回すように彼女らの腕を見ていた私の心中はというと「女の子最高ーーーーー!!!!」とこれまた中年を彷彿とさせる単語で溢れかえっていた。まぁイケメンとか男前も最高に大好物なんだけれどね。

しかし世の男性諸君は女の子に感謝するべきだと思う。こんなにみんなお金をかけて綺麗にしているのだから。化粧品とか月々の美容代とか結構する、んだと思う。私はそこまで美容にも服にもお金をかけている方ではないからわからないけれど。デパコスだと美容液なんか軽く1万円超えなんだぜ。人生やってられねーーーーって私のような貧乏人は思うけれど、綺麗を貫く女の子たちは惜しげもなくお金をばらまくのだ。好きで美容に勤しむ子が大半だと思うけれど、この美容ブームも資本主義が生み出した産物であることは全く否定できないことであるから、美しさって何?って思う私の捻くれ拗れ倒している思考回路も受容してもらいたい。

それでも可愛い服着ていると気分がブチ上がったりするから、女子ってやはり楽しいし無敵だ。ただただおっさんとか馬鹿で節操のない男たちに消費され、すり減るなんてつまらなことに自分を使わず、自分のために美しさを追求したら良いと思う。人に評価されてこそ、という承認欲求じみた議論も巷を賑わしているけれど、大体みんな他でもない自分に認められたいんじゃないの?

大丈夫、心配しなくても日本は結婚する人よりも離婚する人の方が多い。みんな幸せそうに見えるけれど、人には人の地獄があるわけで、そういう行間を読める女子になりたいものだ。自分にとって何が幸せなのか、女子は幸せのトリガーが沢山あると思う。この世の幸せの価値観に囚われず、小さく小さくならず自分の着たい服をきて、塗りたいアイシャドを塗って睫毛はマスカラでこれでもかってほどバツバツに伸ばしまくって。彼氏でも旦那でもましてや知らないおっさんのためでもない、自分のために徹底的におしゃれして往来を闊歩しようじゃないか。

 

 

 

実写化に対する苦言を少々。

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大好きな本の実写映画を最近観た。原作は洋書であったことから映画化していたことは知っていたが、Huluや Netflix等で見かけなかったことからいつまでたっても観ることが出来ず、存在さえ忘れていたのだが。dTVにて配信されているのネットサーフィン中に知り、光の速さで再生ボタンを押しちゃったわけだ。

ヒロイン役をなんと大好きなカーラ・デルヴィーニュというモデルがやっているということも相まってすっごく楽しみに観た。

のだが。

めちゃくちゃ期待してみたのに。

正直私は言いたいことと、言わなければならないことの区別がつかない大人のフリした子どもだから言っちゃうけど。

すっごい微妙だった。

何が微妙ってそれは本が原作を実写化する時にだいたいいつも物議を醸す、尺がある故の無念の割愛だ。今回も大幅カットがこれでもかという程なされていて切なくなった。というか、もうほぼ泣いていたと思う。

原作ファンからしてみるとどこも削ることができないのだけど、時間という制約を負いし映画の前ではそんな悲痛な声など無に等しくて。大人の諸事情によりガツンと切り刻まれた愛しい作品は、原作とはまた別の作品になり果ててしまった。残念な話ではあるが、原作を実写化したはいいけど大胆カットをしていたり、配役が致命的にミスっているという作品が世に蔓延っている。

実写化ヒットの打率ははかなり悪く(当社比)、ほんのひと握りしか良い成績を残していない。しかし人類はこうも文字で表現されたものを映像化、実写化したがる傾向にある。それはなぜか。映像の方が短時間で大量の情報を視聴者に提供でき、忙しい現代人の価値観にフィットしているからなんだろうな。文字はどうしても言葉を重ねることになり、慣れてないと理解に時間を要することこの上ない。言葉の重なりから出る味を楽しむというのも本ならではだと個人的ひは思うが、読書との距離が遠い人からすると大変時間のかかる行為であることは想像に難くない。しかしだ。だからと言ってあれもこれも省かれてしまったら、それは原作の実写化と胸を張って言って良いのか問題が浮上しないか?

これは増税とかする前に国会で早急に話し合ってほしい議題ではある。だって期待して実写映画を観て裏切られ、傷つく人がこの世に何人いると思う?結構いるぜ?これ以上むやみやたらに人を傷つける世界を作ってはいけない。その為にも実写化する際の注意事項とか、省略して良いはならないとかいう具体的な法案を可決させなくては。実写化することを頭ごなしに否定する気はないが、基本的には原作至上主義者たちがぬくぬくと生活できる環境をまず整えるべきだと思う。原作なしに実写化はあり得ないのだから。

だいぶ個人の趣向と我儘とがメインに押し出された激しく偏った意見だが、それだけ必死であるということはご理解頂きたい。実写映画を作る人たちが全く原作に対してリスペクトがないという気はないが、原作は原作通り過不足なく表現したりストーリー展開することで評価を得ているわけだからその点に関しては徹底的に忠実にあるべきだ。

ただ私はそう言いたいだけだ。