夏の厄災を読んだ。
ではなくなんと再読本。2回目なのだがこのご時世なので読みたくなっちゃって…。以前長野旅の道中から読み始めて途中になっていたのでこの際読み切ることに。しかし長かった。軽く500ページぐらいはあるのだが、内容がこのコロナ禍とリンクすること多しで、為になるではないのだけどワクチンのことやら感染経路の多様性やら色々と新たな発見があった。
比較したら面白いかなと思うので、私たち人類が今直面するCOVID-19と夏の災厄で流行る新型日本脳炎の違いについて考察する。
まず類似点。
- 未知のウイルスであること
- 画期的な治療法がないこと
- ワクチンで予防することが対抗手段であるところ
- 両者後遺症が重いところ
うーん。こんなところだろうか。ウイルスだからそら同じかということしか残念ながら思いつかなかったけど。
そういえばコロナの治療法としてアビガン、デカドロン、レムデシビルといった抗生剤で抑えこんでいるけど、ウイルスって生物じゃないからそもそも抗生剤が効かないんだよな。本当にウイルスへの対抗手段ってワクチン打って抗体つけて感染しないように予防するってことしかないのか、という事実を重く受け止めている。
異なる点
- 日本脳炎は蚊が媒介して感染。人から人へは感染しない。(コロナは飛沫・空気感染)
- 日本脳炎の方が致死率が高い?(あくまで個人的な印象)
- 流行範囲(コロナはパンデミックレベルなので日本脳炎とはレベルが違う!)
コロナは世界規模だが、日本脳炎は特定の地域だけ。だからワクチンの開発も遅ければ行政の対応もまごつく。そういう意味では世界規模で流行ってるから他国と力を合わせワクチン開発に臨めることは我ら人類にとって不幸中の幸いなのかもしれん。
とにもかくにも疫病とは厄介なもの。人類総出で事に当たったとしても画期的な封じ込め方法はなく、せいぜいロックダウンして家に閉じこもるのみ。ウイルスの前では人間はこうも無力なのか。しかし負けながらも前へ進もうとする人類の狂気じみた根性がいつも科学技術を前進させてきたことは圧倒的に自明であるから絶望で肩を落とす必要はないのだろう。
まだ戦いを強いられはするだろうし、戦いの末に「今までと同じ」日常が帰ってくるかどうかもわからない。しかし「今までと同じ」=善でもないだろう。新たな景色と日常の幕開けをしばしば夢見て、明日もウイルスと隣合わせて生きていく。
今日読んだ本:シュミじゃないんだ 三浦しをん