酔っ払ってブログを書くとこうなる。
実は最近「わからないこと研究ノート」をつけ始めた。
最近というか今日からなのだけれど。
わからないこと研究ノートとは「自分がわからない思うことや、過去にわからないと思っていたことをわかるようにしよう」というこれまた前向きなノートになっている。
今わからないこととは例えば、
・5Gとはなんぞや
・最新SNSのクラブハウスとは
・インサイダー取引とは
・鹿児島中央駅には一体何があるのか
・なぜ今の彼氏と付き合っているのか
とか最新のトレンドに関してだったり、哲学的なことであったり多岐に渡るのだ。
とにかく個人的な日々の謎の究明が目的となっているのだが、その中でも一番の謎はなぜ今の彼氏と付き合っているのかだ。
念のために忠告しておくが、こんな不毛なことは絶対考えない方が良い。素敵な恋愛ライフを送れなくなってしまう。
そもそも恋愛感情なんていうものは不可思議なもので、おカタい理論とは別次元の代物だ。
自分で簡単に制御してしまえる感情であるうちは恋愛なんて成立しない。であるから恋愛とはいわば制御不能の馬の手綱を握った状態であると言えるだろう。
この制御の出来なさがストレスたりえるのだが、それ自体を楽しい思う意味のわからんい脳内エラーがまさしく恋愛・恋煩いなのだ。
さて、研究ノートの件に話を戻そう。自分が不可思議だと思うこに対して貪欲に突き詰めることがこのノートの存在意義なのだが、これは恋愛とはいささか相性が悪いことにお気づきだろうか。
つまり脳内エラーを起こしている状態が恋愛をしている状態であるとするのならば、研究ノートで特定の誰かに対する恋心について吟味してしまうということは、その脳内エラー状態を解消することになりかねないのだ。
これは非常にリスキーな研究になってしまうだろう。
彼に対する恋心とは別の感情や、明らかにしたくない彼の性癖。それだけではなく、彼に対して敢えて言語化することをしなかった思いを積極的に言語化していく作業になるので下手したら嫌いになっちゃうよね。それはシンプルに、やべー。
「言語化し様々なことが明らかになったとしても、それでも好きでいることがホンモノの恋愛だ」と主張する論者もいるだろうしそれは大いに認めるが、やはりなんとなく目を背けることでその関係が成り立っている場合がほとんどではないだろうか。恋人関係だけでなく、人間関係全般に言えることなのだが。
恋は人を盲目にするっていうのは本当に真理なのだと思う。
よく見えていたら恋愛なんぞついぞできはしないのだ。
脳内お花畑のハッピーランドになっていなければ、おおよそ直視出来ない現実が案外目の前に横たわっていたりするのだろう。
私はきっと今の彼氏のことが好きだ。
どういうところが好きか、具体的に挙げられた方が良い彼女像として満点なのだろうが私はそうはしない。
「なんとなく、好き」とかいう漠然としたラインで彼を好きでいたいと思う。
そうすればきっと、彼に対して寛容でいれる気がするのだ。
そして彼に対して上手に勘違いし続けて楽しい恋人ライフをできるだけ長い時間送っていたい。
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なんなのでしょう、このまとまりもない且つ見るに耐えない恥ずかしい文章は。
酔っ払ってブログを書くとこういう凄惨な悲劇をうみかねません。
皆様もぜひお気をつけて。