20代女性結婚独身天国地獄問題

 

どうも。とりあえず20代女子をやっているわけですが。自由に使えるお金も増え、学生時代とはまた違う輝き伴っている(と思いたい)はずなのだが、20代も中間に差し掛かると突如出現するのが結婚か独身か問題なのだ。

セクハラにあたるからか「結婚しないの?」や「相手はいるの?」という質問が上司から降りかかることは昔より少なくなったのかもしれないが、根強く残る失言クソおっさんはサラリと言ってくるよね。私も先日上記クソおっさんに年齢を聞かれた挙句「若いね〜。でも俺その時もう子どもいたからさ!」って結婚及び子どもがいるという点でマウントを取られた。

心中では『お前の話聞いてねぇから。勝手に情報提供してくんなや。ボランティア気取りかよ、このクソが』と思いつつも笑顔で「へぇ!そうなんですね〜。若くでお子さんいらっしゃったんですか!凄いですね!」と華麗にかわしてやったんだ。てめぇーの情報なんざ私の人生に1ミリも役立ちゃしねーんだよ。生涯お口チャックしてな。

というわけで世のおじさまたち、お口には気をつけましょうね。

昔、15.16歳でお嫁に出されていた時代は結婚というもののハードルは低かったんじゃないかと思う。今よりも結婚し養ってもらうことが当たり前の流れだったたから。しかし現代は女性の社会進出が進み「当たり前」の概念が物議を醸すようになった。シンプルに女性の選択肢が増えたことも結婚という選択を見直す機会になったのかもしれない。

そう考えると、喜ばしいことだと思えるのに。

何だろう、この不自由な感じや息苦しさは。

クソおっさんは簡単にあしらえるのに、友人や自分の身近な人が結婚したり、突如名字が変わっている事実にぶち当たると狼狽する私。自由に生きたいと思っていても自分の中の「当たり前」という概念が私を縛るからだ。生き辛い世の中だ、と酒を煽りながら言えるけどちょっとそれはダサいよね。

"女の幸せ"=私の幸せ?

この方程式が果たして真実かは、私の人生をもって検証しなければならない。「方程式通りでもそうじゃなくてもきっとなんやかんや私は幸せだろう」とおおらかに構えて生きていきたい。

そうは言っても、また要所要所で私は焦っちゃうんだろうなぁ。溜息が出る程めんどくさい人間だけど、これが私だから付き合っていくしかないな。

というわけで、全世界の女子の皆さん。気取らず焦らず、時には思いっきり愚痴を溢しながら生々しく生きていこうな。

【映画】77回、彼氏を許すを観た感想。

 

非常事態宣言が延長されたこととは全く関係なく、私は今1日映画1本生活を送っている。Netflixを周遊していたら、たまたま見つけ題名に惹かれたので観てみた。

f:id:kkminmin:20210531205802j:image

題名に映画の内容が完結に示されているのだけど、イケてる彼女が自分とは真反対の彼と付き合い、その中で沢山嫌な思いをするというシンプルな話だ。観ていただければわかるが、彼氏が結構クズい。自分の感情をコントロールできない子どもじみた輩だ。

そんなクズ彼がデートの待ち合わせに大幅に遅れ待ちぼうけを喰らう彼女が、変わったお店で変わったノートに出会う。「77 心の傷」と書かれたノート。要するに自分の負の感情や悲しみに向き合うためのノートだ。ちなみになぜ77回かというと、77回ならまだ努力して相手を許すことができそうだかららしい。このノートを購入し、その日から彼女は自分の彼への感情や思いをノートに吐露するようになる。

最近気がついたんだけど私、ガールがいろんな出会いや友人、自分の努力によってエンパワメントされる系の話が大好物だ。そもそも綺麗で可愛い女の子が好きで、観ていて気持ちが良いというのも大きいのだけれど。「77回彼氏を許す」も彼女が自分の感情をノートに書くという地味な行為を必死に続けたことで、自分が選択を下す時の判断材料にし綺麗に消化するという流れがなんとも私好みであった。いやー気持ち良い。ネタバレになるけど、決してハッピーエンドとは言えない終わり方をしている。私は逆にそこが良いなと思った。人生ってそんなにうまくいかないし、ハッピーエンドで閉められるということがいつも美しい結末であるとは言えないことは経験から知っている。

作中の彼女は持ち前の聡明さと忍耐を駆使し彼に向き合おうとするが、当の彼氏は彼女に向き合うことはおろか、自分にも上手に向き合うことができない。自分の痛みや感情に鈍感な人はもれなくそばにいる人の感情にも鈍くなる。それが前面に出てしまい、彼は自分の行動や言動が彼女を傷つけ苦しめていることになかなか気づかない。だから彼は同じ失敗を何度も繰り返し、彼女と喧嘩してしまう。さてはて困った末に彼女がとった行動とは?

気になるでしょう?ぜひご視聴あれ。Netflixで今かれでも見れますよ。

 

しかし彼のクズさにびっくりするし、第三者目線でいうと彼女もかなり怒りっぽいのかなと思ったりした。「ちょっとは許したれよ」と彼女に思った部分もあるが、作品には描かれていない日々の小さな出来事が積み重なった故の彼女の怒り悲しみなわけだから、そういう見えないところを想像すると何にも言えなくなる。そりゃ辛いよね。反面教師じゃないが、ほんの少し彼女(または彼氏)に気を遣うだけで信頼をえられたり、「私はあなたを大切に思っているよ」というメッセージを比較的簡単に伝えられるのだなとかなり勉強になった。私たちノンフィクションを生きる者も負けていられない。コロナ渦という特殊な状況下であまり恋人に逢えない時にどうやって心が離れないようにするのか、考えて行動することが大事だなと思わされた。

恋愛でうまくいっていないという人、何かを決断したい人にはおすすめの映画だ。彼女から勇気をもらうのも一つだし、彼女のように前に進むため自分の気持ちに向き合うためのきっかにしようと思う方にも観て欲しい。

ガールズだけじゃない、ボーイズもみんなみんな。今日も明日もエンパワメントされよう。

昨今の病院の状況からコロナとか色々考えてみた。

 

非常事態宣言が6月20日まで延長となった。電車の中の人の数は全く減るところを知らないから、名ばかりの宣言であることは国も認めざるを得ないのではないだろうか。国としてなんらかの策を講じなくてはならないから、苦し紛れの宣言なんだろうなと政治家や国を動かす方々の心中を察してみようと思ったけど、全くわからん。

だから私は自分の知っていることを話そうと思う。

私は病院で働いている。バリバリのコロナ進行形の患者ではなく、おもにアフターコロナの方の受け入れを行う小規模病院だ。

そんな当院の病棟でコロナの患者がでた。

詳細は伏せさせていただくが、保健所からは一定期間の入退院の停止を言い渡された。当院だけではなく、入院患者からコロナの陽性が出た場合だいたいこの「入退院の停止」というペナルティを食らう。アフターコロナの患者を受け入れている病院が入院を停止すると、コロナ治療の最前線を担う病院の病床を確保することがままならなくなる。急性期の病院からしても、いつも転院で受けてくれている病院がコロナのためにクローズとなると、病院探しを1から始めなくてはならないので絶望を感じていることだろう。

自分の病院でコロナ陽性が出るまで、正直コロナはどこか遠いことのように思っていた。しかしここまで身近に迫られると結構びびる。最近では若い人も亡くなっていたりするす。他人ごとではないし、自分がコロナになり救急要請した時に受け入れてくれるベッドがあるのか?と不安になった。病院の内側を知っているからこその不安だと思うが。

コロナに感染し自宅療養をしていたが、容体が悪化し救急要請するも病院が見つからずそのまま孤独死したという高齢者のニュースを見た。こんなニュースを聞くと、病院で死ねるということはなんと幸せなことだろうと思わずにはいられない。病院に入院していたとしても、面会が基本的に禁止だから死に目に家族が間に合わないということは多々あるが、それでも誰かそばにいてくれるのだ。一人で孤独に死ぬよりなんとましなことか。この国の孤独死問題はコロナ前からのものではあったが、より孤独死が身近になってしまったと感じる。

病院の入院患者からコロナの陽性患者が出た時に入退院がストップになることもこの孤独死問題に拍車をかけているようで、なかなかに責任を感じる。「ストップになっていなければ、もっと患者さんを受け入れられたのに。」そう思うけど、クラスターの発生も防がなくてならないのだ。私の病院ではコロナ治療ができないから、コロナ陽性患者は他の急性期病院へ転院させるしかない。そしてその後はさらなる陽性患者を出さないためにも、入院患者を止め様子観察とこれでもかってほど執拗なPCR検査を患者さんだけでなく、職員にも行うのだ。

今の病院はどこもこんなかんじ。

どの病院もてんてこまいで、「今日の患者もどうやって受け入れよう?」ってなるくらいだ。だから現在あなたの入院するベッドは、ない。どこも埋まっている。

だから絶対にならないで。

もちろん個人でできることには限りがあるけど、手洗いするとか本当に小さいことの積み重ねでかまわない。あれもこれも全部全部我慢しろ!とは口が裂けても言えない。みんな本当によく我慢している。たまには気になるカフェにお茶しに行ったっていいと思う。だけど、油断はしないで。無理もしないで。

病院が命を救うところという機能を担うのも厳しい状況になっているから、コロナリテラシーを正常に保つため、正しい情報を必死に努力して手に入れて自分の生活を守っていって欲しい。国の策は決してあなたを守ってはくれないということが今日までのこの結果が物語っている。ここまでくればあなたの考えがあなたを守る。

先が見えないという絶望感には想像力で対抗しよう。

必ずマスクを外し笑顔のバーゲンセールと、リップ塗りたくって街を闊歩できる日が来ると私はこれでも信じているんだ。

どんな時でも無になる瞬間を。

 

色々あって今職場が暇だ。私の職場=病院なんだけど、この時期暇な理由って言えばそりゃコロナだ。コロナ関係で今暇なんだ。なぜ暇かについては追々記載していく。日々コロナ騒動で忙しく過ごしていて、正直毎日休憩をとる暇もなく走り続けていた。しかし今はそのコロナに仕事を奪われるという現実に戸惑いを隠せない。のだが、時に暇は良いものだと思う。

f:id:kkminmin:20210527195722j:image

今まで「忙しい」を理由にし、目を背け徹底的に後回しにしてきた掃除や書類と向き合う。書類の断捨離に今勤しんでいる。「やっぱ時代はペーパーレスやんな!」とほぼほぼ捨てると心に強く決めたのに、処理する紙の量の多さにクラクラしている。誰も代わってはくれないからひたすら紙とシュレッダーに向かい合う。シュレッダーが紙をどんどん飲み込んでいってくれるけど、供給過多なのかすぐに胃袋が一杯になる様子。すぐに「ゴミを捨ててください」の表示。「まだいける」とシュレッダーへの期待が大きすぎる私は、健気なシュレッダーの表示を一旦無視し、そのまま紙を飲むことを強いる。最初は飲み込んでくれるけど、またゴミ捨てての切実な訴え。とりあえず胃袋に詰まるチリチリ細々した紙たちを足で踏み、力技でそれらの体積を縮める。よし、これでもう一回。シュレッダーにデザート的ポジションの紙を飲み込ませる。また紙を飲み込んでくれるけど、すぐに負けじと「ゴミ、捨てて!」のカウンターパンチを喰らう。

シュレッダーも機械だからここは私が大人にらならんと。と自分をたしなめ、ようやっとシュレッダーの胃袋であるゴミ袋を新しいものに交換する。

はい、今永遠とこのシュレッダーとの対話という単純作業を繰り返している。同じ動作の繰り返しだから脳が動かない。脳の労働を強いらなくても、脊髄反射的にできるレベルの単純作業なんだろう。だから手はあくせく働くが脳は一切働かない。そこには私の無があるだけ。無は誰とも共有できないけど、私はシュレッダーを虐待している時無になる。無になり、脳の活動を止めることで私は癒される。余計なことを考えずただひたすらに同じことを繰り返す。無に没頭して自分の覚醒レベルを落とし、悩み事や心配事からその時だけは解放されるのだ。

毎日あくせく生きて、大変だけどそれなりに楽しい時間を過ごしている。でも不安から解放される時間は少なく、今の不安は別の不安に塗りつぶされ見えなくなるだけという無限ループに陥っている。ゴールのないマラソンしているみたいではい、絶望。けど頭を空っぽにして、考えないようにすればそれは幸せと言えるのではいないか。目を逸らす力、現代を生き抜くに外せないスキルと言えよう。私はまだシュレッダーの力を借りなくてはならないけないのだけれど。

 

川上未映子さんの言葉にグッと来た日

 

日々何を糧に生きてるかというと、酒・本・映画だ。まぁお酒は説明しなくてもわかるだろう。そして映画も。まだ毎日1作品視聴も続けている。因みに今日はやっと「ノッティングヒルの恋人」を観た。全方位的にめちゃくちゃ良かった。ジュリア・ロバーツの歯並びの良さと笑顔の輝きを拝ませて頂けただけでも見る価値があったと豪語できる良作品だ。やはりヒットした作品はヘソ曲げず観た方がのいのだ。

それと本。なぜ本を読むかと問われると、自分とは違う人生を生きてみたいからと、基本的に私は言葉に救われてきたという自負があるからだ。今日も作家の川上未映子さんの言葉に救われた。

『自分が苦しいと思ったとき、その理由を理解できる知性が重要になってくる』

f:id:kkminmin:20210525205238j:image

自分の苦しみを理解できる知性、ですって。そういう言い回しができるセンスが好き。本当にそういう人間になりたい。言葉に救われるってよく聞くことだけど、勝手に言葉が降ってくるわけでもないし、刺さる言葉を恋人や友人がタイミング良く言ってくれるわけでもない。色々なところで網を張って様々な言葉に触れる機会を作る努力をしなければならないのだ。それにもってこいなのが本だ。本の内容もそうだし、様々な経験をした人が紡ぎ出す言葉を直に摂取して自分の人生の幅と厚みを増していきたいと、いつも思っている。

自分一人だけの人生だけじゃやっぱり足りない。他人の人生、他人の言葉をお借りして自分の人生を拡げたり濃縮したりする、そんな途方もない作業が好き。だってひょんな拍子にその時ぴったりハマる言葉に出会うかもしれないのだから。その出会いが堪らないの。やったことない人がいれば試しにやってみることをオススメする。本が苦手な人は、「気になる作家の名前+名言」でネット検索してもらうのも一つの手かも。検索してヒットした言葉に触れ、グッときたり、その作品そのものに惹かれたら実際に手にとって読んでみたら良いわけだし。

作家さんによって選び抜かれ鍛えられた言葉に大いに浸って、 今日も人生癒されていこう。もちろん、お酒と一緒にね。

オリンピックに思いを馳せてみて自分の人生を振り返る。

 

オリンピック問題が昨今のワイドショーを賑わせている。やるのかやらないのか、日本の偉い人とか他国の偉い人が全く進展のない議論や根拠の乏しい儚い主張を高らかに仰せつかっている姿を見て私が思うことはというと。

「特になし」だ。

だって自分の日常生活にオリンピックという祭典は大きく食い込んでこないんだもん。こう考えている人が圧倒的多数なのではないだろうか。トーキョーは同じ日本だけれど、かなり距離のあるところに住んでいるから自分事化できない。しかもなんだか「オリンピックやっても地獄、やらなくても地獄」ってレベルまでいっていてオリンピックを考えること自体が憂鬱になっている。どうせ地獄だし、やっちゃったら?とは思うけど、医療従事者だし急性期病院の過酷な現状も知ってる身としては安易なことは言えないのよね。ま、どの種類の地獄をチョイスするのか、もうきっとそういう議論でしかないのだと思っている。だから国には勇気を持って地獄を選び、考えうる中で最も酷い最低を想定して対処法を考えて頂くことを切に願う。

しかし自分のこのドライさ加減にも辟易しちゃうわ。オリンピックだけじゃなく、ワールドカップもどーでもいいー。と思う非国民日本代表=私、というかなり最悪な方程式が見事に出来上がってしまっている。だってさ、本当にどうでもよいの。ボールを蹴って走り回ったり、物凄い速さで走ってみたり。純粋に素晴らしいと思うけどそれ以上でも以下でもないんだな。スポーツの祭典を観て盛り上がっている人を見ても「みんな元気やなぁ」って感心するだけだし、ましてや選手になって走り回りたいなんて来世の自分も思うかどうか危うい。どうやら徹底的に興味がないらしい。しかし全てに当てはまることだけど、楽しめるなら楽なしんだ方が人生おトクだと思う。オリンピックもワールドカップも国を挙げて盛り上げているわけだし、かなりのお祭り騒ぎなる。一つの目標に向けて皆で一丸となる、そういう文化祭的なノリが人類にはいつになっても必要なのだ。

私もオリンピックやワールドカップを楽しめるキラキラ女子になりたい人生だったなぁってちと思う。

f:id:kkminmin:20210524201349j:image

でも実際は屈強な肉体を持つ爽やかイケメンや美女を眺めるよりも、私はささやかで控えめな一口の美味なるお菓子にこの心をときめかす。関西人だからではないが、基本的にもったいないおばさんまっしぐらな私だけど、オリンピックやワールドカップは上手に楽しめない。不自由で歪だと思うけど、そんな私をもう既に私は楽しんじゃっているから結果オーライということで。

 

選手だけでなく読者の皆さま、くれぐれもコロナに気をつけて。

【創作料理】嫁に行けない丼

カズレーザーが「女子力なんて概念は存在しない」と言っていた。

曰く、料理上手だとか、食事会の時に積極的に取り分ける子のことは「女子力が高い」なんて言わないのだ。ただ「料理が上手な子」や「取り分けるのが好きな子」でしかないのだと言っていた。物凄く共感してしまい、心の中のイイネボタンを連打したのは記憶に新しい。

カズレーザーの主張に勇気を貰い私も「この世に女子力なんざねぇ!」とのたまうことにしていたんだが。そんな威勢の良い女が作った料理がこちらである。f:id:kkminmin:20210523193642j:image

見てくれ、包丁使わずに作れるんだぜ。そして人類の先人たちが発明してくれた醤油とマヨ。これらが私の食生活を豊かなものにしてくれたことから、彼らを崇め奉るしかない人生なのだ。出来栄えと味と、非常に満足しているのだがふと頭によぎったことがある。

「もし私が嫁を貰う立場の人間なら、こんなに料理できない丸出しの女を選ぶだろうか?」

こんな女、絶対に嫌だなぁ。

自分でも、そう思っちまったのさ。

あまりに男の料理的な香りがして、些か自分の料理に対する感性が心配になったし「男は胃袋を掴んでなんぼ!」という戦い方もあることから自分の戦闘能力をさらに高めなくてはならないなという課題まで見つけてしまったのだ。

「たかが料理で何をほざいてるねん」とツッコミを入れる楽天的な自分と「やっぱ料理は侮れんで」と冷静に事態を分析する自分。両者に挟まれながら食す、この「嫁に行けない丼」。悪魔的な美味しさに5分くらいで食べ終えてしまった。やはり美味なるものは心を癒すし救う。手間暇かけて美味しい料理を作るのも素晴らしいことだが、たまにはこんな簡単爆速料理だっていいのだ。ただ私の場合は0:10で簡単爆速料理を生成するからこのパワーバランスが実しやかにいかんのだろう。きちんとした料理にも手を出していかなくてはならないのだなぁ。

嫁への道はまだ遠いということなのか。